医療とAIのニュース医療におけるAI活用事例AI自動運転への過渡期に何を考えるか -高齢ドライバーと軽度認知機能障害 【臨床医が考察】

AI自動運転への過渡期に何を考えるか -高齢ドライバーと軽度認知機能障害 【臨床医が考察】

高齢ドライバーと運転免許に関する問題を、社会全体が痛感する状況が続いている。免許を自主返納するような一部の自主的な努力が及ばず、安全網からの小さな漏れが悲劇的な結末につながってしまう。個人の権利は尊重されるべき一方で、ある程度の強制力をもつ線引きには、活発な議論と現状認識が必要だろう。

近い将来、AIによる運転の完全自動化は確実な流れと考えられる。国土交通省資料に示されているような、いわゆるレベル5近辺の自動運転技術に達する頃には、別の倫理的問題へと変化しているに違いない。しかし、現状は過渡期である。待望の技術進化の達成時期は未知であり、直面した問題に現実的な対応をしなければならない。

『高齢』『運転能力の低下』『認知機能の低下』の視点から、以下の2つの論点を中心に考察する。
1.「高齢者は一律に運転能力が低下するか?」
2.「認知機能低下があれば運転は不適切か?」

「高齢者は一律に運転能力が低下するか?」

高齢者と接する機会の多い医療従事者は臨床現場で日々実感していることだが、認知および身体機能には個人差がとても大きい。これは論点のひとつ、『単純に年齢だけでは運転の可否の境界線を引けない問題』と関わる。そもそも運転能力は多くの要素から影響を受け、個人差が大きいという前提がある。そして、運転能力と一言でいっても様々な解釈がある。

特に私たちの感情を強く刺激するような凄惨な事故、未来への希望が断たれる被害者、理不尽で容認しがたい構造の事故背景をみると、加害者へのバッシングに傾くのも常である。しかし、衝動的な感情が収まるのを静かに待ち、一歩下がって大局の視点に戻ると、専門家のコンセンサスは実は既に得られていることに気がつく。

「安全に運転できる限り、年配の運転者も路上にとどまるべきである」
裏を返すなら、
「安全に運転できないなら、年齢に関係なく路上に出てはいけない」

車社会と高齢社会が高度に共存している米国の例をみても結論はさほど変わらない。米国運輸省道路交通安全局(NHTSA)の高齢運転者に対する評価とカウンセリングの臨床向けガイド『Clinician’s Guide to Assessing and Counseling Older Drivers』を参照とするも、やはり結論は「客観的に評価して、安全に運転できるなら運転を規制できないし、するべきではない」となるだろう。
米国の老年医学研究学術誌Journal of the American Geriatrics Society収載の論文では、医学的理由で運転制限に至る高齢者は15%程度という実情を報告している。このようなデータを、医学的な運転制限が必要な高齢者が潜在的に存在する可能性ととらえるのか、それとも本質的には運転能力低下は医学との関連要素が小さいと解釈するのか?より多くの臨床関係者が、この問題に積極的に意見を示す余地がある。

カナダの老年医学研究学術誌Canadian Geriatrics Journalに掲載の『高齢ドライバー評価に関する合意声明』では、論調が個人の権利よりも社会的要請の側にシフトする。現状の評価方法には課題が多く、医療従事者による積極的関与と協力を強め、多段階的で公正な評価方法へと修正してゆく議論が必要という。そして、社会的には個人の運転から代替する方法への技術開発が望ましいと表明している。

では実際に、客観的な運転能力評価のため現行でも取り得る方策があるだろうか?既に個人の手元に届く技術として、様々なAIアプリケーションに注目してみる。Driving behavior scoreやSafe driving scoreと呼ばれるような、ビッグデータと機械学習モデルから運転技能を点数化するアプリは、目にすることが増えてきたのではないだろうか。商業ベースではMoveXFICO社などが該当し、国内の身近な例ではYahoo!カーナビの運転力診断(三井住友海上火災保険会社の機能提供)がある。誰もが納得できる公的なAI運転能力診断スコアを、年齢に関係なく運転免許維持の要件とするのはひとつの可能性である。公道での運転評価は、都市と郊外の道路状況の違いを加味する必要もある。そのため、判定を補助する要素とし、VR技術を活用したドライブシミュレーターなども実用に耐え得るものとして期待できる。

「認知機能低下があれば運転は不適切か?」

認知機能低下≠運転能力低下、であることも議論の難しさとなる。日本精神神経学会の『患者の自動車運転に関する精神科医のためのガイドライン』では、「認知症も含めた特定の精神疾患を運転制限に結びつけるのは医学的根拠がない」などとして一律の強制力を働かせた規制には反対の姿勢が強い。

国内外問わず、グレーゾーンとして共通の議題とされているのが『軽度認知機能障害(Mild Cognitive Impairment : MCI)』である。学術誌Journal of Clinical Medicineには、現役で運転している高齢者と、運転をやめた高齢者とを比較した研究が発表されている。その中で高齢MCI患者の場合、情報を一時的に保ちながら操作する、いわゆる『ワーキングメモリ』の容量を検査する『Digit Spanテスト』での能力低下がみられた。そしてこの能力低下は運転をやめた集団との相関が強かった。したがって、MCIを有する高齢者でワーキングメモリの能力低下が著しい集団は、自主的な免許返納か規制されるかは別として、運転をやめるという選択の妥当性が高い可能性がある。医学的エビデンスに基づき、高齢MCI患者の中でも運転をやめるべき集団を選定する試験法の多角的導入は、単純に認知機能低下と免許返納を結びつけない方法として考えられる。

自動車事故に関する学術誌Accident Analysis & Preventionには、高齢者でMCI患者の場合、手で携帯電話を保持しながらの通話が、運転パフォーマンスを特に低下させることが示されている。一方で同乗者との会話は有意な悪影響にならなかったという。運転中の携帯電話使用については、既に規制強化や厳罰化の方向性が強まっているが、高齢社会と付随するMCI患者の増加に対しては特に重要となる可能性がある。一度与えられた運転する権利を個人から奪うことは簡単ではないが、運転パフォーマンスを低下させる『運転中の行為を詳細に管理・規制すること』は充分に妥当である。もちろん、ここでは高齢者という線引きを必ずしも必要とはせず、万人に適用できる公平な基準の検証が望ましい。

誰もが自動車を手に入れ、自由に活動できるようになったことは素晴らしい。しかし、生身の体を容易に破壊するだけの高エネルギー体を、『容易にミスをする人間』がコントロールするのは非合理的なのかもしれない。開けてしまった技術革命の箱を、理性的に閉じてゆく選択も私たちの使命である。

これまでの考察から認識が深まるのは、やはり運転能力の個別性と客観的評価の重要性というごく当たり前の結論である。AI自動運転への過渡期において、私たちは現実として直面した問題に、私利にとらわれない公明正大な技術的解決への努力を活性化させるべきであろう。その助けとなるのは、誰もが強く注目する自動運転とは別の切り口のAI技術だろうか。または多くの人たちの、安全に対する強い願いと行動かもしれない。

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TOKYO analyticaはデータサイエンスと臨床医学に強力なバックグラウンドを有し、健康増進の追求を目的とした技術開発と科学的エビデンス構築を主導するソーシャルベンチャーです。 The Medical AI Timesにおける記事執筆は、循環器内科・心臓血管外科・救命救急科・小児科・泌尿器科などの現役医師およびライフサイエンス研究者らが中心となって行い、下記2名の医師が監修しています。 1. 岡本 将輝 信州大学医学部卒(MD)、東京大学大学院専門職学位課程修了(MPH)、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(PhD)、英University College London(UCL)科学修士課程最優等修了(MSc with distinction)。UCL visiting researcher、日本学術振興会特別研究員、東京大学特任研究員を経て、現在は米ハーバード大学医学部講師、マサチューセッツ総合病院研究員、SBI大学院大学客員教授など。専門はメディカルデータサイエンス。 2. 杉野 智啓 防衛医科大学校卒(MD)。大学病院、米メリーランド州対テロ救助部隊を経て、現在は都内市中病院に勤務。専門は泌尿器科学、がん治療、バイオテロ傷病者の診断・治療、緩和ケアおよび訪問診療。泌尿器科専門医、日本体育協会認定スポーツドクター。
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