TXP Medical 株式会社(以下、TXP)は、救急外来(ER)および急性期医療に特化した患者情報記録・管理システムの開発・販売を行う医療AIスタートアップである。同社は急性期医療におけるデータシステムの提供を通じて、次世代医療体制の構築を目指している。TXPの急成長を支える製品「Next Stage ER」について、園生 智弘(そのお ともひろ)代表取締役にお話を伺った。
- 2017年8月にTXPを設立されました。そもそもの医療現場に対する問題意識や、起業のきっかけをお聞かせください。
2010年から救急・集中治療医として急性期医療に携わる中で、救急患者の病状に関する統計データが十分に蓄積されていない、という問題に気づきました。病院が請求する診療報酬と紐づいた投薬・処置などのデータは把握できる一方、病状(症状・基礎疾患・所見など)に関するデータは構造化されたものがほとんど存在しません。例えば、救急車で運び込まれてきた患者がどのような病気と診断されて、最終的に生存しているのか死亡したのかといった基本的なデータさえ現在の日本では整っていません。
こうした問題意識から、医師になって約3年が過ぎた頃、仲間と救急医療データベースの構築に着手しました。しかし多くの医師は臨床業務で忙殺されており、データ入力に協力的ではありません。医師達の善意の入力に頼るような方法でデータベースを構築するのは現実的には難しい面がありました。
我々が日々行なっているカルテ記載そのものがデータ収集であり、「カルテ記載とデータ収集の同時実現」がTXP製品Next Stage ERのコアコンセプトです。
データの蓄積が十分であれば、病院の提供する医療の質評価が容易になり、結果として医療の質の標準化・底上げにもつながります。
- 日本の病院では電子カルテの普及が進んでいます(※)。既に導入されている電子カルテにデータベース機能は備わっていないのでしょうか。
(※)一般病院での普及率は、2005年時点で7.4%であったものが、2017年時点では46.7%にまで増加している。(出所:厚生労働省「電子カルテシステム等の普及状況の推移」)
現在の電子カルテは、いわば「診療報酬計算機」に「カルテ記載機能」を付加したものです。後者のカルテ記載はフリーテキスト方式で記述される単なるメモで、構造化されていません。ここに対してカルテのテンプレートが作られる場合もありますが、入力UIの問題、病院間の構造が違いすぎるため、何れにせよカルテ記載部分のデータベースとしての活用余地は限定的です。
- 現場の医師にとって、勤務先の病院が「Next Stage ER」を導入しているメリットを教えてください。
前提として、医師はtop downの指揮系統で行動を決めるのではなく、自身の仕事が効率的になることを重視する行動をとります。
「Next Stage ER」を導入すれば、若手医師や看護師の業務フローがNext Stage ERを中心に回り始め、結果として臨床研究に熱意のある医師は研究用データベースを自ら手作業で構築する必要がなくなり、効率的に研究をできるようになります。臨床をメインで行う医師や看護師にとっても「カルテへの入力業務が楽になり、各種救急外来書類を統合できる」という点で大きなメリットがあります。
「Next Stage ER」は研究と臨床の効率化を同時に推進できるのです。
- 高齢化に伴う患者数の増加(※)もあってか、救急現場での医療従事者の疲弊といった話を聞くところです。「Next Stage ER」はそうした現場の問題解決にも役立つといえそうですね。
(※)救急車での搬送人員数は、1982年に204万人(うち高齢者(満65歳以上)37万人(18.1%))であったが、2017年には573万人(同337万人(58.8%))にまで増加している。(出所:消防庁「救急救助の現況」)
救急現場の多くが疲弊しているのはその通りです。ただ、医師の疲弊の原因は、患者数の増加と絶対的な医師数不足だけではなく、ペーパーワークが多すぎることや、救急医療の集約化の非効率など、システムサイドにあります。医師・看護師の仕事の50〜60%がカルテ記載を含む書類作業であるとも言われています。例えば救急医療の現場では、一刻も早い転院搬送と緊急処置が必要であるにも関わらず、病院から病院への搬送の際に必要な紹介状作成、画像データをCD-ROMへ書き込む、血液検査を印刷するといった、全く本質的ではないところに時間が割かれ、これらの書類の完成を患者と救急隊が待っている状況も生じています。
医療現場が、臨床診断、患者説明あるいは次世代の医療体制構築のための研究、といった本来の業務に集中できる環境を作りたいのです。
- 「Next Stage ER」には「テキスト構造化AI」等の機能が搭載されています。どのようなAI技術が使われているのでしょうか。
「Next Stage ER」はデータ収集のツールと見られがちですが、上述したようにデータ収集とデータ入力業務負荷の軽減はセットでなければなりません。Next Stage ERにはデータ入力支援AIとデータ解析AIがセットで組み込まれているとお考えください。
一点目として、医師がカルテを従来通りフリーテキスト方式で記載すると、自動的にデータベース保持情報が生成(=構造化)されます。ここにAIテキスト解析技術が活用されています。
カルテのフリーテキストを構造化するという発想自体はTXPによるものではありません。日本医療情報学会(JAMI)などが長年取り組んできた課題でした。データベース構築のためには医師にチェックボックスを埋めてもらう方法(構造化カルテ記載)も考えられます。しかし急性期医療では疾患のバリエーションが多く、さらにチェックボックス式カルテは入力に余計な時間を要するため現実的にはうまく機能しません。
TXPではAIテキスト解析で「キーワード抽出」の手法を主に採用しています。いわゆる自然言語処理だけでは対応できません。カルテは文章というより箇条書き情報の羅列という特徴があるため、「形態素解析(※文法や品詞で最小単位に言語を分割して行う解析)」の手法ではうまく処理できないからです。
キーワード抽出に必要となるのが、医療専門用語を登録した「辞書」です。TXPでは、症状・病名などの専門用語の表記揺らぎ辞書を20万以上構築しています。こうした辞書の構築には相応の金額が必要ですが、TXPではクラウドソーシングの活用、社内に医師を複数名持つことによって短期間でかなり高いレベルの辞書を構築できたのです。
なお、「Next Stage ER」ではフリーテキスト(カルテ記載)とデータベース保持情報を並べる形でテキスト構造化が実行されます。両者を並べることで、カルテ記載が適切にデータベースに反映されているかどうかが可視化されます。これにより、うまく反映されない場合には医師が入力方法を調整してくれます。先述の通り、医師は効率的であることを好むのと、この過程でテキスト解析AIに対する絶妙な優越感を感じることもできるため、多少の入力方法の変化には対応してくれることが分かってきました。このように医師側の行動原理に即した仕組みで、構造化の精度を上げているのも当社システムの特徴です。
- 医師は「Next Stage ER」でどういった機能を利用できるのでしょうか。
テキスト構造化AI・カルテ記載支援の他には、病院間情報連携(紹介状自動作成+画像共有)機能、音声入力エンジン(音声による記録自動化)機能、問診やドクターカー などの病院前診療の支援機能、ERでの職種間コミュニケーション、救急外来台帳作成機能があります。救急外来で必要とされる機能が個別のシステムで提供されるのではなく、全てNext Stage ERのオプションとして一箇所で利用できるようにしています。
- AI開発の人材は不足していると言われます(※)。TXPではどのように人員を確保し、開発体制を構築しているのでしょうか。
(※)政府はIT人材の質・量の不足から、2025年までにAI人材を年間25万人育成する目標を掲げている。(出所:内閣府「統合イノベーション戦略2019」)
AI開発には2段階あり、教師データ等の作成と、AIエンジニアリングです。前者に関してはTXPではクラウドソーシングサービスを利用し、約10人の医師や看護師に辞書作成業務を委託しています。医療従事者は作業の処理能力が高い方が多いので、業務のやり方を伝えるとすぐにできるようになります。委託単価は高いのですが(笑)。外部委託後の2次レビューは私を含めた社内の医療従事者が責任を持って実施しています。
医師の中には、ご家庭の事情で在宅勤務をされたい方や、根気の要る細かい作業が向いている方がいます。そうした方にとっては、心身への負担が大きい当直のパートタイム労働よりも、TXPの業務が合っているのだと思います。
後者のAIエンジニアリングに関しては、医者や医学生でデータサイエンスに興味がある人材は増えており、実現場である大病院にシステム提供を行うとともに大量の医療データにアクセスできる可能性のある当社は魅力的に映っているようです。当社のAIエンジニアリングと研究発信のチームには医師や医学生の参加が日々増えてきています。
- 現在、辞書の充実などの機能開発は一段落というところなのでしょうか。今後の開発の方向性をお聞かせください。
既にテキスト構造化AIの精度は高い水準にあります。しかし、まだ課題もあります。例えば、同じ略語であっても診療科によっては意味が違っていて(例.MS:mitral stenosis 僧帽弁狭窄症とmultiple sclelosis 多発性硬化症)、うまく構造化できないことがあります。100%に向けて残り2〜3%の精度を高めていくために、診療科毎の辞書構築、文章全体の自動解析によって診療科や記録情報種別の特定ができるアルゴリズムの構築を、クライアント病院との共同研究を通じて進めていくつもりです。
(撮影︰The Medical AI Times 編集部)
園生代表取締役 略歴︰
2010年東京大学医学部卒業。東京大学病院、日立総合病院で主に救急集中治療関連の臨床業務に従事。救急科専門医・集中治療専門医。
臨床業務の傍ら、急性期向け医療データベースの開発や、これに関連した研究を複数実施し、これら医療データベースの構築や医療関連言語処理技術開発を事業化。2017年にTXP Medical (ティーエックスピーメディカル)株式会社を創業。
2018年内閣府SIP (エスアイピー)のAIホスピタル (エーアイホスピタル) 研究事業に採択。日本救急医学会救急AI研究活性化特別委員会委員。日立総合病院を出発点として、全国の救命救急センターに臨床業務支援システムを提供するとともに、医療現場における適切なIT活用に関して発信を行っている。
- 一般にシステム開発には多額の資金が必要となります。TXPでは開発資金はどのように調達されているのでしょうか。ベンチャー・キャピタル(VC)の活用なども視野に入ってくるのでしょうか。
TXPは学会発表を精力的にやっているので、これを通じて自然と医療機関に浸透していっています。一般的なスタートアップと異なりmass marketingに関わるコストは限定的です。また、「Next Stage ER」は大病院向けのシステムなので導入時に200〜300万円、その後は年間200万円程度を収受するので、単独でもビジネスモデルとしては成立可能です。今のところは販売活動や運転資金確保のために新たな資金調達を要するフェーズでは必ずしも無いと考えています。現在は私の自己資金に加え、エンジェル投資家2名から出資を受けている状況です。大病院ネットワークと急性期医療AIを絡めた今後の事業展開に関しては資金調達を考えています。
VCなどからの資金調達を検討したことはありますが、投資家はAIが派手に何かを解決するようなストーリーを期待されている節がありました。医療現場にはAI以前の問題が山積しており、それを地道に一つ一つ解決するTXPの事業は地味でもあり、ウケは今ひとつだったと感じています(笑)。
- 「Next Stage ER」を導入した病院が、廃止や別のシステムへの乗り換えを行うことはあるのでしょうか。また、ITシステム導入時にありがちな、細かな要望に応じたカスタマイズを求められるなどの大変さはありますか。
導入いただいた後に廃止などが発生したことはありません。病院側は慎重に検討した上で新規システムを導入しますし、当社も現場責任者を必ずアサインしてERの業務フローのコンサルティング的なことまでしつこくお付き合いします(笑)。
機能については、病院や医師によって好みがありますので、顧客満足度を高めるため好みに合わせたカスタマイズをすることはあります。しかし、コア部分は「救急外来のあるべきデータ型」を実現しているため個別カスタマイズは一切行っていません。したがって導入施設間のデータ統合は容易に可能です。また、要望の一次受けは全て私自身で行なっており、「システムカスタマイズが必要」な案件なのか、「オペレーションでカバー可能」な案件なのか、「特定のドクターや施設の趣味的な研究」なのかを見極めた上で開発チームと共有します。
- 売上・利益が積み上がっていくビジネスモデルなのですね。病院組織には保守的なイメージがあります。名の通ったITベンダーや大企業でないと取引に応じないようなことがあったりしないでしょうか。
幸いにも「Next Stage ER」は既に多くの大病院などに導入又は導入内定をいただいています(2019年10月現在、稼働済み:7病院、導入内定:9病院)。国立大学病院や県立病院にも導入事例をいただくことができております。こうした実績が信頼につながっているので、現在では知名度などで不利になることはありません。
ただ、初期の病院営業時には、相当苦労したのも事実です。当社のシステムの熱烈なファンとも言えるような現場ドクターが病院内でのキーパーソンとなってくれて、関係者を説き伏せてくれたおかげで初期の導入事例が積み上がってきました。実績が少ない中で「Next Stage ER」の意義と可能性を理解し、導入いただいた病院とその先生方には感謝の気持ちしかありません。
- 起業から約2年という短期間で多くの病院への導入が進んでいるのですね。現在の市場占有率や市場規模、今後の拡大余地についてはどのようにお考えでしょうか。
日本には約8,000の病院があります。そのうち「二次救急指定病院」(救急車を受け入れているような病院)が約2,000、さらに救命救急センターを備える大病院が280〜290あります。
TXPはまずはこの280〜290の大病院をターゲットにしています。2019年10月現在、16病院に導入又は導入内定しています。そして60程度の病院に対して、説明会開催など何らかの形でアプローチしています。したがってこの限られた市場でのシェアは上がってきていますが、まだまだ多くの拡大余地があります。「Next Stage ER」がスタンダードになる世界を目指していきたいと考えています。
市場規模について考える際に重要な点として、救急医療市場の裾野の広さがあります。診療科で切った「救急科」は限定した領域に見えますが、救急医療は病院外への広がり(救急隊、救急車、問診ツール、予約ツール、地域医療連携など)があります。また、急性期病院に入院する患者の3分の1が救急外来経由です(残り3分の2は、かかりつけ患者の重篤化、および専門医への待機的紹介)。したがって、救急外来に関するデータを押さえることは、医療データの3分の1あるいはそれ以上に関与することだといえます。そういったデータは貴重であり、保険や製薬分野の企業が関心を持つので、協業が広がる可能性があります。
- 貴社の活動がどんどん注目されるにつれて、競合企業がこの分野に参入してくるおそれはありませんか。
その可能性はあると思います。ただ、私どもは一見しただけではわかりにくい救急外来のオペレーションや、医師の心理や行動原理、医学研究に対する医療現場の熱意を知り尽くしています。AI技術単独はコモディティ化が進むと考えられますが、これらの要素は代替困難性が高いと考えています。実際、救急外来に包括的なシステムを提供することを試みているプレーヤーはいますが、継続的に供給しているベンダーは大手含めてこれまでほぼいません。
- 将来的な海外展開についてはいかがですか。
一般に、病院がデジタル化されその次に病院外がデジタル化されるという発展経路をたどります。
近年、アジアの国々にも「デジタルホスピタル」が誕生してきています。日本よりもデジタル化が進んでいるケースもあります。TXPのシステムは今のところ日本語に特化していますが、国と言語が変わっても基本的なロジックは同じです。将来的にはタイやカンボジアなどアジアの国々へとサービスを展開できる将来性があると感じています。
Next Stage ER導入病院のメンバーとの記念撮影(園生代表取締役提供)
現在は「第3次AIブーム」といわれ、様々な分野へのAI活用の期待が高まっている。そうした中であえて、園生代表取締役は「医療現場にはAI以前の問題が山積している」と語る。そこに、医療現場で働く人々に寄り添ったテクノロジーの開発を進め、目の前の課題を解決してきた経営者の矜持を感じた。
聞き手 The Medical AI Times 編集部(株式会社トウキョウアナリティカ内)