2020年は東京オリンピック開催に伴うメモリアルイヤーとなるはずでもあったが、実際は新型コロナウイルスの感染拡大に伴う「試練の1年」として、多くの人々の記憶に刻まれることになった。数え切れないほどの人命が危機に曝されるとともに、医療提供体制の限界と脆弱性も各所であらわになった。ソーシャルディスタンスという言葉が一般的となって人の動きは大きく様変わりし、経済は混乱し、政治は確信の持てない決断を何度も迫られた。2021年となった今も状況は改善することはなく、日本はまさに第3波の脅威の最中にある。
こういったなか、科学コミュニティは自身の研究フォーカスをこの未知の感染症へと移す動きが加速し、結果として短期間に無数の知見が集積した。抗ウイルス薬を始めとした根本解決手段はいまだ得られていないが、多面的な研究アプローチとその成果は、この未曾有の危機を乗り越えるための示唆を与えてくれるものとなっている。
我々のメディア・The Medical AI Timesでは、特に「新型コロナウイルスに立ち向かう医療AI」を題材とし、海外医学論文や国際学会報告、公式プレスリリースを中心として学術的エビデンスの担保された情報を多数取り扱ってきた。2020年2月18日から2021年1月14日までの間では、実に178本の当該記事をリリースしている。ここでは、これらの記事を参照しつつ「新型コロナウイルスと医療AIのこれまで」をまとめておきたい。
A. AIによる新型コロナウイルス感染症の診断モデル(画像)
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の識別は現在、ウイルス遺伝子を増幅させて検出するPCR法がゴールドスタンダードとなっている。一方で、検査結果が出るまでにかかる時間、人的・物的リソースの制約、検査精度の限界、などが問題となってきた。医療AI領域では、主として画像や血液検査結果、その他の生体試料を活用し、このPCR検査をサポートする診断・予測モデルの開発が1つのトレンドとなった。
画像種は、医療リソースの乏しい国・地域を含めても広く利用されている「胸部単純レントゲン」が最多を占め、次に「胸部CT」によるものが続いた。
COVID-19を識別するAI、画像診断モデルの事例:
1. ノースウェスタン大学
Radiologyに収載されたチームの研究論文によると、DeepCOVID-XRと呼ばれるこのAIプラットフォームでは、胸部読影を専門とする放射線科医と比較して診断速度で10倍、正確性で1~6%高い値を示すなど、高度のスクリーニング性能を示した。
2. behold.ai
同社の「red dot」プラットフォームは、胸部単純レントゲン写真を「正常と判断する能力」を強みとして、欧州CEマークを2020年4月段階で取得しており、COVID-19のトリアージ迅速化に貢献した。
3. アリババ
胸部CTからCOVID-19による異常陰影を識別するAIソフトウェアを開発しており、日本のエムスリーと提携したことでも話題を集めた。
4. Zebra Medical Vision
医療画像AIスタートアップの雄は、胸部CT画像からCOVID-19を識別するAIシステムをインド全土の病院群へ展開。
特に胸部CT画像による診断モデルは高い識別精度を示すものが登場し、スクリーニングの域を超えた「十分に診断に寄与する」モデルが提唱されつつある。これには政府・民間を問わず、開発を積極的に後押しする多くの枠組みが生まれたことも大きな役割を果たしている。
COVID-19関連AI研究・開発を後押しする枠組みの事例:
1. 米Children’s National Hospital
米国立衛生研究所やNVIDIAと協力し、COVID-19を胸部CT画像から診断するAIモデルを競うコンペティションを実施。
2. 米国立衛生研究所
COVID-19のスクリーニングや診断、重症度予測のためのAIシステム開発に対して2億ドルの助成金を割り当てるなど、関連研究・開発に対して大規模な助成を進める。
3. Google
COVID-19を巡るAI開発とデータ解析を支援するため、2020年9月段階までで世界31組織、850万ドル以上を寄付。
4. NCC-PDI
また、英国における保健福祉の執行機関であるPublic Health Englandは、ケンブリッジ大学の要請に対し、匿名化した「新型コロナウイルスの感染患者データ全て」を科学者たちに提供することを早期に決定するなど、これまでにない迅速かつ大胆な判断が研究の活性化を促したことも見逃せない。米国も同様に、新型コロナウイルス感染症対策へのAI活用の重要性を認識しており、Caption Healthの事例では、AIソフトウェアのアップデートに伴うFDA認証をたった25日間のレビューで実現している。
COVID-19とAIに関する政策的判断の事例:
1. 英国
2. 米国
B. AIによる新型コロナウイルス感染症の診断モデル(画像以外)
画像以外をベースにした診断モデルとしては、一般血液検査項目に基づくものが数多く提案された。ルーチン取得される入院時血液検査結果からスクリーニングする手段は、新規の大規模な医療資源投入の必要がなく、現状の臨床ワークフローを乱さない効率的なものとなるため、臨床現場からの期待も大きい。
COVID-19を識別するAI、一般血液検査に基づく診断モデルの事例:
1. オックスフォード大学
2. Bitscopic
その他の生体試料としては、呼吸器感染症としての特徴を捉えた呼気や咳を利用するもの、バイタルサインの変動から検出するものなどが提唱された。
COVID-19を識別するAI、他の生体試料に基づく診断モデルの事例:
1. Scentech Medical
Scentech Medicalの技術は、呼気中の揮発性有機化合物から新型コロナウイルス感染群・活動性あり群・無症候性キャリア群といった属性の違いを検出することができる。
2. マサチューセッツ工科大学
意図的に咳をし、音声解析モデルによる識別を行う。アルツハイマー病の診断向けに構築されたAIモデルに改変を加えたものという。
3. Empatica
スマートリストバンドで捉えた皮膚末梢温度、心拍数、呼吸数などのリアルタイム情報から、新型コロナウイルス感染を特定する。
C. AIによる新型コロナウイルス感染症の予後予測モデル
COVID-19の有無を識別する診断モデルと並び、患者ごとの予後を予測するAIモデルが数多く世に示された。これは急激な医療需要増に伴う医療崩壊を回避するための施策につながるもので、個別リスクを明らかにした上での医療資源の適正分配を促す。
COVID-19予後予測AIの事例:
1. カリフォルニア大学アーバイン校
年齢・性別・基礎疾患数・BMI・呼吸数や各種検査結果値など、13項目の入力のみで「人工呼吸器またはICU治療が72時間以内に必要となる確率」を示す。ツールはオンラインで無償公開されている(公式サイト)。
2. マウントサイナイ病院
既往歴やバイタルサイン、入院時検査結果などから入院後3・5・7・10日での高精度な死亡予測モデルを開発した。
3. ジョンズホプキンス大学
4. ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校
中国武漢のデータを利用した死亡予測モデル。
5. マサチューセッツ総合病院
6. CLEW Medical
7. ニューヨーク大学
リアルタイムの検査値・バイタルサイン・吸入酸素濃度などから「どの患者を安全に退院させられるか」を識別するAI予測モデルを構築した。研究成果はnpj Digital Medicineに収載されている。
8. PrecisionLife
独自のAIプラットフォームを利用し、重度のCOVID-19発症に関連する68の遺伝子を特定。
D. AIによる新型コロナウイルス感染症の治療法開発
現時点で新型コロナウイルスへの特異的な効果を示す抗ウイルス薬は得られていない。これが一朝一夕にいかないことは、明確なコンセンサスのあるところと言える。そういったなかで2020年、医療AIは特に「ドラッグリポジショニング」において多くの取り組みが確認された。つまり、既存薬の他目的利用(今回はCOVID-19治療)を目指すもので、通常新薬の安全性確保と効果検証には多大な時間と費用を要するランダム化比較試験が欠かせない。医療AIによるアプローチは、この潜在的な薬剤効果の推定、およびランダム化比較試験のエミュレートに主眼を置くもので、事態が逐次増悪するこの感染症への直接的な対策法を「迅速に」策定する可能性があるとして衆目を集めた。
COVID-19治療法開発へのAI活用事例:
1. オハイオ州立大学
電子診療録や保険請求記録など無数の実世界データを遡及的に分析することにより、転用可能な候補薬剤を示すことができる深層学習フレームワークを開発した。
2. シンガポール国立大学
AIプラットフォームを利用した新しい研究により、エボラ出血熱治療薬として知られるレムデシビルに、HIV感染症の治療薬であるリトナビル・ロピナビルを組み合わせることで、レムデシビル単独治療と比べて約6.5倍のCOVID-19治療効果を望める可能性を示唆した。
3. オークリッジ国立研究所
4. Skymount
E. 新型コロナウイルス感染症を巡る医療者および患者支援AI
生活習慣病など非感染性疾患は分布拡大が比較的緩やかであり、患者教育や体制確保に時間的余裕があるため、医療における急速な需要供給アンバランスは引き起こしにくい。この点で、新興感染症は容易に医療崩壊をきたし得ることを世界の人々が肌身をもって実感した。
医療AIを用いたCOVID-19対策は診断や治療、予後予測にとどまらず、医療者・患者を巡る実務的な課題にも多面的に活用されている。
COVID-19を巡る医療者および患者支援AIの事例:
1. 仏国立保健医学研究所
現症状やこれまでの経過などに基づき、AIボイスアシスタントが適切な受診先に誘導するフランスの取り組み。
2. Hyro
Hyroのバーチャルアシスタントは、COVID-19ワクチン接種の適格性や副作用リスク、種々の懸念事項に応答できるほか、予約の自動化も実現した。
3. Jvion
4. GE Healthcare
5. オックスフォード大学
スマートフォンベースのバーチャル学習プラットフォームで、COVID-19疑い症例を適切に管理・治療するための医療者トレーニングを提供する。
F. AIによる新型コロナウイルス感染症へのその他の取り組み
1. メイヨークリニック
Googleのキーワード検索傾向から、COVID-19の感染拡大が危惧されるいわゆる「ホットスポット」を特定できるとする研究成果を公表。
2. エディンバラ・ネピア大学
AIベースのSNS解析で、大衆の「ワクチンに対する信頼」のリアルタイム評価を可能に。
3. ジョンズホプキンス大学
COVID-19パンデミック下においては、あらゆる臨床的意思決定に深刻な問題が生じた。例えば、予定されていた多くの腎移植が延期となり、世界的に腎移植施行数の減少がみられている。この主たる理由は、リスクに対する理解が不十分であること、および意思決定に至る参照情報が不足していることにある。米ジョンズホプキンス大学などの研究チームは、「COVID-19のパンデミック下に腎移植を行うこと」のリスクとベネフィットを探るシミュレーション研究を行い、実際のシミュレータを無償公開している。
以上に挙げたものは「新型コロナウイルスに立ち向かう医療AI」のほんのひと握りに過ぎない。それでも、科学の力を結集し困難に立ち向かおうとする人々の努力が十分に垣間見えるだろう。引き続きThe Medical AI Timesでは、国内外を問わずこの領域における取り組みを積極的に取り上げ、先端情報・知見の共有に努めていくのでぜひご期待頂きたい。
The Medical AI Times
Editor-in-Chief
Masaki Okamoto MD, MPH, MSc, PhD (TOKYO analytica, Ltd.)